甦る思い出・・・

ふつつかもの

2006年11月05日 17:09

ちょうど、今ごろの季節、たまに思い出すことがある・・・
今日も、ふと思い出したので、書いてみた。

偶然に逢った、著名人のお話。

【1985年11月某日】
当時遠距離恋愛をしていた私は、週末相模原にいる彼女を訪ねていた。
日曜日の夜には当然浜松へ帰らねばならず、その日もなるべく遅い時間で帰っていった。
小田原から新幹線に乗るのだが、遅い時間なのでいつも下りホームはまばらだった・・・

その頃から『こだま号』なら16号車の方の自由席と決めていて、人気のないホームをとぼとぼと
歩いていた・・・がその日は違っていた。

ホーム後ろより、壁に張り付くように寄り添う2人の男女がいた。

遠目から見ても明らかに一般人じゃないことがわかった。

男は180cmはある長身、すらりとしたスタイル・・・
女は背を向けていながらも、明らかにモデルと思われる長い脚をしていた。
2人おそろいでシンプルなジーパンに白いドレスシャツ・・・それだけのいでたちなのに
出ているオーラが違っていた。

腰まで伸びたしなやかな髪の女が男の肩越しに顔をうずめていた・・・

別れを惜しんでいるんだろう。
邪魔しちゃまずいなと思いつつ、前を通り過ぎるときちらりと2人を見た。

女は相変わらず男の胸に顔をうずめていたが、男の顔を見てしまった。



『萩原光(アキラ)』・・・じゃないか・・・
一瞬とはいえ立ち止まってしまった。

当時、アキラといえば・・・



だったり、



なんかで、鈴木亜久里のライバルとして知る人ぞ知る、若手有望レーサーだった。

彼は実家が小田原だったので、当然彼女が私と一緒に列車に乗ったのだが・・・

発車した列車の窓から見ると、アキラがホームで寂しそうに手を振っていた・・・

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そして、翌1986年4月7日・・・菅生サーキットで、彼は・・・


【メルセデスベンツ190E2.3-16】

本来予定になかったマシン(上の写真)のテスト走行中、クラッシュ炎上・・・
紅蓮の炎の向こうでアキラは散っていった・・・

たらればが通用しないこの世界・・・が、当時の実力からすると亜久里よりも【F-1】には近かった・・・
『元祖街道レーサーあがり』として、より身近に期待をしていた頃があった・・・

人気レーサーとしてじゃなく、あのときの寂しそうな顔はまさしく一人の女を愛する男の顔・・・
有名人だって恋すりゃただの人・・・

今でもアキラの顔ははっきり覚えています。
そして、この季節たま~に思い出すのです。(秋・・・だからかな?)

【ふつつかもの】ですが、アキラよりもトオルのほうがすごかったですけどね、よろしく・・・・・・・

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